誰かのために頑張ること

誰かのために頑張るには私が私を大切にしなきゃいけないことに気がつきました。仕事人間だったので家庭での記憶が所々抜けています。もう忘れないように日々を記録します。

損か得かを考えたら、得なほうがイイに決まってる。
結局自分に返ってくるなら、誰かのために頑張ろうかな…と、自己中に尽くす主婦のブログ。

Unwelcomeだよ

母宅のカレンダーに今後の予定を書き込んでいたら、庭に出ることができる窓のカーテンがフワッと揺れた。

窓を開けっ放しで出かけたのかと思って見ると、少しだけ閉まりきってなかった。

鍵を締めようとするとクレセント錠が無い。

周りを探すと外れた鍵は棚の上に置いてあった。


以前にも他の部屋のクレセント錠が落下していたのを、たまたま来ていた弟が見つけて取り替えてくれたことがあった。

古い借家だから仕方ない。

今朝出かける前に壊れたのかな?と思い、すぐに不動産会社に電話をした。


母は携帯電話を携帯しないので、帰宅時間を見計らって電話し修理依頼をしたことを伝えた。

「今朝壊れたの?」と聞くと「いや、1週間前くらいかな」と言う。

(,・o・,)Oh My God!!

1週間も開きっ放しやったんかい! 物騒な!

と思ったが、母に何を言っても母なりのやり方を変えることはないので「危ないよ!」と一言だけ言った。

私も後期高齢者になったらこんな感じになるのかしら?





修理は翌日の午前中に「来たよ」と母から電話があった。

「さっき来てパッと直してパッと帰って行ったよ」とのこと。

「あ~良かったね」と返事をしたが母は困ってなかったんだった、困っていたのは私のほうだw

あ~良かった!


空き巣ならまだしも、侵入者と鉢合わせでもしたら母なんか一撃必殺だ。

心配なのは、玄関の鍵は締めているがチャイムが鳴るとすぐに開けてしまうこと。

インターホンで話してからドアを開けなさいと言い聞かせてもやらない。

インターホンでは相手の声が聞こえないから使わないのかなぁ?

それならそうと言ってほしいがそれも無い、ただ自分のやりたいようにやるだけ。


良かれと思ってやっても、だいたいのことが「頼まれてもないのに私が勝手にやっている」ということになって、勝手に私が傷つくことになる。

だから母のことだけではなく、いろいろ気づくことがあるが私が困ること以外には関わらない。

よほどの大事(事故、事件、生命に関する事態など)でなければ他国のことは傍観する、もしくは気づかないふりをする。

「薄っぺらい心配は興味と表裏一体」と経験者様も仰っていた、私もそのとおりだと思う。


よくあるケースでは、バイト仲間が新人さんのことをわざわざ話してくる。

「ねぇねぇ、ぷちこさん知ってる?あの人〇〇町に住んでてバイクで来てるんだって。あんな上着で寒くないのかなー?ってみんなで話してたんだよ」

なんてどうでもいい要らない情報だろうか!

私には新人さんがどこに住んでようと、どんな手段で通勤しようと、どんな服装だろうとどうでもいい。

私は知りたくもないのに、話したことのない新人さんが住んでいる場所と通勤手段の情報を手に入れてしまった。


私はバイト先では仕事のこと以外は話しかけない。

もちろん話しかけられたら応じるが積極的に雑談はしない。

バイト仲間に「ぷちこさんは一匹狼みたいですね、私は好きですけど」と言われたことがあるが、お世辞であれ皮肉であれ「このスタンスで間違ってないな」と確信した。

それこそ私の意識は開きっ放しで閉じないので、そのくらいしないと身が持たないからだ。

閉じる方法はあるのか、どうしたら気を乱さずにいられるのか常々考えている。

今のところ、独りでいる時がいちばん心穏やかで幸せだ。