誰かのために頑張ること

誰かのために頑張るには私が私を大切にしなきゃいけないことに気がつきました。仕事人間だったので家庭での記憶が所々抜けています。もう忘れないように日々を記録します。

損か得かを考えたら、得なほうがイイに決まってる。
結局自分に返ってくるなら、誰かのために頑張ろうかな…と、自己中に尽くす主婦のブログ。

婆さんも一気食い!絶品きび餅


三回忌に送ったお供物のお返しが届いた

一日不可無?

なんだそれ?


お義母さんの親戚から届いた新米もお裾分けしていただいた。

お米とお菓子ふたつずつあるけど、お米は我が家が全部いただくぜ♪

お菓子はちゃんと母に渡しますよw食欲出てきたからねー。

お義母さんからのメールに「きび餅は賞味期限が短いので迷いましたが、評判がいいお菓子なので食べてみてくださいね」とあったので、母に「残ったらすぐ冷蔵庫に入れて早めに食べてね」と言って渡した。


さっき病院で、ふと思い出したので「きび餅食べた?」と聞いたら「食べたよ!美味しかった!」と嬉しそうに言った。

母の身辺の世話をするようになって7年、母が「美味しい」と言ったのを聞いたのは今日で3~4回くらい。

(ΦωΦ)ホホォ…と思っていたら更に「楊枝で刺して一口食べて、また食べようと楊枝を見たらトロンとお皿に落ちとった。柔らかいけ、みないっぺんに食べしもた!」と。

一気に全部だと?ひとつがけっこう大きいのに?

そんなに気に入ったなら来年の傘寿のお祝いにあげようかな、お取り寄せできるかなぁ。


さっきも母は苦々しい顔をして「私こんなに長生きするとは思っとらんやった」と言っていた。

ずっと食欲もやる気も低下していた期間でも健康診断・血液検査共にDr.から毎回100点満点をいただいていたので私は母の長生きを確信していたが、今年のこの快進撃はどうだ。

100点に食欲とやる気がプラスされたら、いったい何点満点になるんだ?

本当に私のほうが先にくたばるんじゃないかと不安がよぎったw

自分の幸せは自分のルールで自分が作り出す!

最近モヤモヤしていることがあるので、ここらで考えをまとめてスッキリしたい。

「ある人」がモヤモヤの原因だが、その人が悪いということではない。


誰しも考え方、話し方、態度等々その人を形作っているものや、その人が纏っているものがある。

それが素の姿なのか、自ら意識して醸し出しているのかは他人にはわからない。

たとえ本人であっても、そんなことを考える必要を感じなければ、自由にありのまま振る舞うことがあるのかもしれない。


私は思考を他人軸から自分軸に変えるために姫活を生み出して大成功を収めたが、そこで考えるのは「個」だ。

私は物心が付く前から、親に「みんなと仲良くしよう」と教えられた。

妹弟と仲良く、たまたま近所に住んでいる同じ歳頃の子と仲良く、たまたま出先にいて二度と会わないであろう同じ歳頃の子と仲良くね、と。


そりゃ仲良いことに越したことはないが、人類みな兄弟的な宗教的な「万人平等無差別この世の全ては神仏の子、愛し慈しむべし」みたいな「理想」を我が子に押し付ける。

我が子は天使だから誰とでも仲良くできるし誰からも愛される、我が子にはずっと天使でいてほしい………という「理想」だ。

その「理想」の部分を「呪い」と置き換えると、ちょうど私ができあがる。

私は最近までその呪いにかかっていた。


物心が付いてからは学校で協調心、団結、和合などを教えられた。

人は一人では生きていけないし、助け合えば力が倍増以上の大幅増も見込めるので当たり前に学ばなければならない教えだと思う。

でもその裏で、みんなと同じことができない子が浮いてしまっていた。

私も含め「協調性」をはき違えていたのだ。


家庭では母が妹の個性について悩んでおり、度々「あの子は変わり者だ」とこぼしていたので「みんなと同じことができない子はダメな子だ」と思い込んでいた。

そう思っても、みんなと同じことができるはずがなく、私は変わり者と言われないようにできる限り周りに合わせて目立たないようにしていた。

ちゃんとできない私はダメなヤツなんだ。

私はみんなより劣っていると思っていた。


幸か不幸か私は空気が読めるらしく、相手に合わせることができた。

「私ごときができることは誰にでもできることだ」と思っていたので、これが私の特性だと自覚していなかった。

相手が好きな話題、相手を傷つけない言葉選び、その場の雰囲気に合わせて思ってもいないことを言う。

相手がやらないこと、できないことは私がやる。

私がやりたくないこと、できないことも私がやる。

私がやりたいことを諦めて私がやる。

それで上手く回るなら私が引き受けますよ、というスタンスでどんどん演技力が上がっていった。

都合良く使われているのかもしれないしストレスは溜まるが「こんな私でもみんなの役に立てるんだ!」という気持ちになれた。


じゃあどうして離婚したんだっけ?と記憶を呼び起こすと、勘違いして暴君になった前夫を止められなくなったからだったわ。

ますます劣等感を募らせた出来事だった。

だから更に人の役に立ちたくて介護の仕事を選んだ。

高齢者は私をただの話し相手として自分のことを語っていたのだろうが、私はそれぞれのかたの思いを聞いて何とかできないものかと胸を痛めていた。

たまたま担当になっただけの私に本音で話しをしてくれていたのか?今となれば疑わしいが、私は本気で何とかしなきゃ!と四六時中心配が尽きなかった。

部下ができたら部下の悩みまで一緒に抱えて、子供が何も言わないのをいいことに家庭のことは後回しにした。

ここでダンナも登場となるところだが、ダンナは奇特な人なので話しがややこしくなるから割愛。


実は空気が読めると「相手に合わせない」こともできるので、最近は何かと多用している。

場の雰囲気に合わせて気づいてない演技をするか、たった今気づいたわ!という演技をすればいいのだ。

事と場合によっては、それが相手を傷つけない行為になる。

または、相手にやんわりとダメージを与えられる。

姫活で「呪い」が解けてきたので本来のブラックぷちこが出現している。


冒頭のモヤモヤの原因である「ある人」はみんな仲良く系の人のようだ。

殆ど会話をしたことがないから決めつけはできないが、場に馴染もうとしているのがわかる。

それはそれでいい。

それが本人にとってやりやすいならそれでいいと思う。

ただそこに私を巻き込まないでほしい。

私はもう誰にどう思われようと仲良しの演技をするつもりはない。

最低限の挨拶はしているし、話しがある時は話す。

それ以外は考え方が違うんだと思って無視してほしい、この際嫌われるのも厭わない。


と、まぁ………昨夜ここまで勢いよく書いて寝落ちし、今日の母の通院から戻って今見たら結構どうでもよくなっていたwww

でもせっかく長文書いたから公開しよう。

こんな日もあったね、という記録として。


やっぱり私は自分の気持ちを文章にするとスッキリするんだなぁ、紙に書く日記は続かないけど。

ブログは続けられてるから手元に残らず書き捨て感覚なのが私に合ってるのかも。


個性的な花 グロリオサ

身近な自然の美


先日、国際親善で他国の民と贈り物を交換し合って「上手く交流できたわ♪」と思っていたら、そのかたから「アロエを入れるのを忘れてたから今度また持ってくるね!」と言われた。

アロエは昔むか~し母が育てていたので「懐かしいなぁ、どこに植えようかなー」と考えていたが………


また、こんなに!www

ヾ( 〃∇〃)ツ キャーーーッ♪嬉しい悲鳴!

ありがとうございます!

とりあえずこのまま日当たりの良い場所に置いて、今後のことは母の通院が落ち着いたら考えることにしよう。


黒竜の花が咲いていた


下から覗いて見る

這いつくばって撮影していたら………


ネオさんがヒョッコリ

全く見えてないけど匂いと音を頼りにウロウロ歩き回っている。

失明したら怖がって動かなくなるのかと心配したが、ぶつかりながらも元気に歩く。

窓を開けっ放しにしているので自由に庭に出て散歩したり日向ぼっこしたり、帰ってきたらソファに登って寝たり起きたり。

ゴハンもよく食べ、他の2匹と同じ生活ができている。



「目」と言えば母の白内障手術だが、今のところ予定どおり進んでいる。

今朝も手術後の処置のため母宅に行ったが、その途中で通せんぼされたwww


美しい佇まい!ダイサギかな?


ここは2年前ハロちゃんを放鳥した川の橋の上だ。

実際放したのはもう少し川上だったっけな。

ゆっくり近づくと、こちらを見ることもなく橋の欄干にヒラリと乗った。


何を見てるんだろう?


そして川に向かって飛んで行った。

((ε(。・ө・。)з))パタパタ~達者に暮らせよー!