誰かのために頑張ること

誰かのために頑張るには私が私を大切にしなきゃいけないことに気がつきました。仕事人間だったので家庭での記憶が所々抜けています。もう忘れないように日々を記録します。

損か得かを考えたら、得なほうがイイに決まってる。
結局自分に返ってくるなら、誰かのために頑張ろうかな…と、自己中に尽くす主婦のブログ。

ご褒美からの地獄


母の白内障の手術が昨日終わった。

通常なら片目の手術をして1週間後にもう片方の手術をするのだが、先月はちょうど勤労感謝の日で病院がお休みだったので2週間後の昨日となった。


いやぁ~手術当日の点眼がたいへんだったわ。

1回目の手術日は私の乳がん検診だったので「手伝えないから頑張って自分でやってよ!」と点眼のやり方を説明したのだが「ややこしいねぇ」と言うばかりで完全に理解している様子ではなかった。


2ヶ月前は11月がこんなに忙しくなるなんて思ってなかったので乳がんと胃がん検診の予約を入れていた。

他の日なら問題なかったのだが乳がん検診のほうは母の手術日と同日。

でも手術は15時頃だと聞いたので「検診は午前中だから余裕じゃん、良かったー」と思っていたら手術当日の点眼を11時半から始めなきゃならないですってー?

独居高齢者は日帰り手術じゃなくて前日から入院して手術するようにしないと、ひとりじゃ無理だわ。

それと「手術当日の点眼くらい自分ひとりでできるよ。病院にだって自分で車を運転して行くんだから」って人でも、手術当日の帰りと翌日の通院は自分で運転は無理だね。


あ、話し逸れた。

それで乳がん検診終わって時計を見たら11時20分!

「これ急げば数分遅れくらいで間に合うぞ!」と車をとばして母宅に行くと、風呂上がりで石鹸の香りをさせた母はお昼ごはんを食べていた。

母「あ~アンタ来たん?」

私「もう11時半過ぎとるよ!目薬せな!」

母「あ~そうかね」

やっぱり行って良かった!

食事を中断させ【A】の点眼薬を手渡してスマホのタイマーを5分にセット。

母、点眼し食事再開。

5分後【B】の点眼薬を手渡し、またタイマーを5分後にセット。

母、点眼し食事再開。

5分後【C】の点眼薬を手渡す。

次の点眼は12時からなので、その間に母は食事を終えた。

私たちの昼食はダンナがお弁当を買ってきてくれたので合間に食べた。


そうダンナがいたのだよ。

私の乳がん検診にも付いて来てたってわけ。


上記の点眼を30分置きに6回繰り返し、無事14時半に病院入りした。


昨日は私たちのお弁当を買ってから11時半前に母宅に行くつもりが、出かける寸前にダンナがいつものどうでもいい拘り発言で私を混乱させ、私のやる気が早々消沈してしまった。

それで前回同様、数分遅れで母宅に到着。

前回同様、風呂上がりの母はお昼ごはんを食べていた。

ダンナのどうでもいい拘り発言のせいでお弁当を買う時間がなかったので、母宅に着いてから前回同様ダンナがお弁当を買いに行って点眼の合間に食べた。


はい、昨日もダンナがいたのだよ。

だいたいいつも私の横にはダンナがいる。


手術時は、怖がって身体に力が入るのをやわらげるために少し頭がボンヤリする薬を入れます、と説明があった。

もちろん眼の周囲に局所麻酔を行うが、母は「痛かった」と言っていた。

眼球保護のためシッカリと眼帯とガーゼを着け、1週間洗顔洗髪禁止。

翌日病院で眼帯を外し検査をして、事前に購入した保護メガネを着ける。

保護メガネは日中もできる限り着けておき睡眠時は必ず着けて寝るようにする。

1ヵ月間装着、ということは年内いっぱい。

手術後は細菌感染を抑える薬と胃薬が1日3回5日分、頓服で鎮痛剤3回分、また3種類の点眼薬が処方された。

私「黄色い蓋の目薬はよく振ってから朝昼晩ね、忘れないように食後の薬を飲む時に一緒にさすんだよ」

母「うん」

私「あとの2本は朝昼晩と寝る前だからね」

母「あ~そう」

私「目薬3本あるから1本さしたら3分後に次、また3分後に次だよ」

↑そう言いながらも(できるわけないよね!)と思っている。

ちゃんとできるわけないけど私が毎回その都度やるわけにもいかない、同居ならやるけど。


これ1回目の手術後でも母に「ややこしいねぇ」と言われ、実際手術後4回目の検査日に母宅に行くと3本中2本が無くなっていた。

母に聞いても「3本あったかねぇ?」とか「私、捨てたんかねぇ?」とか全く話しにならない。

1週間ほどで使い切る量ではないが、使って捨てたのか使わずに捨てたのか本人にもわからない。

母は認知症ではないが、やはりルーティンに新しいことを組み込むのは難しい。

その後の検査で異常は無かったので一安心。

再度3種類の点眼薬を処方してもらった。


で、この手術後の3種類の点眼薬を使いつつ、今度は2回目の手術をする。

そして2回目の手術後の3種類の点眼薬が処方された。

両眼同じ3種類の点眼薬だが感染予防のため暫くは左右使い分けなければならない。

片目だけでも混乱しているのに、できるのか?!

多分できないだろう。

異常が現れないように祈るのみ。


さて手術費用。

母は1割負担なので約20,000円かかるところだが後期高齢者医療制度のおかげで7,440円で済んだ。

これ以外に処置や検査、薬代もあるが、どれも数百円程度。

両眼とも同じ月の手術だったし認定証の交付日から3ヶ月遡りなので、8月からの他の病院に支払った医療費も支給対象になって数千円戻ってくる。


【こんなブログをここまで読み進めた誰かさんへ】

上記のようなお得な制度があるって教えてくれない(もしくは知らない)病院も多いので医療費が嵩む際は自分で調べるべし。

高齢者で介護サービスを利用しているなら担当のケアマネに相談せよ。(中には制度を理解してない者もいるので注意)

高齢者ではなくても医療費が嵩む際は調べたまえ。

「高額療養費制度」で検索じゃ。

母よ、元ケアマネの知識をアナタに捧ぐ。


!!!( ゚д゚)ハッ!!!! 私は何を………www


あ、そうそう。

私こんなに頑張ってるから天からご褒美をいただけたよ。


オイスターソースのキャンペーンに応募してた

アザ━━(・д・)ゞ━━ス!!


と、ご褒美をいただいたと喜んでいれば、一方では昨日の帰りにダンナの拘り発言第2弾で私の怒りが頂点に達し、持っていたバッグでダンナの顔をぶん殴りました。

ダンナのどうでもいい拘りがあまりにもしつこいので、私が怒って大声を出したことにパニックになったダンナが危険運転をしたため、持っていたバッグで顔をぶん殴りました。

これはDVですか?

それならそれでいいです、もう疲れました。

私、興味ないので(大門未知子インスパイア)


「この世に人間として生まれてきているのは喜怒哀楽全ての感情を経験をするためなんだってよ」と妹が言った。

「『今度はこの感情を学びたい』と選んで生まれてくる。不平不満を言ってる人がいるけど自分で選んだんだからね、自分で選んだという記憶は消されて生まれてくるんだけど」と。

妹はスピリチュアルカウンセラーの勉強をしているらしい、いや既にカウンセラーなのかな?


父が亡くなったあと私の夢に父が出てきて父を感じた、という話しを先日書いた。

これは私と父との関係性の上での私の夢なので、その時ホントに「じいさん来た!」と思った。

2回目の夢でも「無事に行った」と思った。


なのに「感情を勉強するために生まれた」と言われても、私が感じたわけではないからか心にスーッと入ってこないw

自分の体験じゃないからかなぁ。

「なるほどねー」とは思ったけど入ってこない。


妹からこの話しを聞いてから、毎日起きる不幸なニュースを見聞きするたびに「この人も自分でこの人生を選んで生まれてきたのかなぁ」と思うようになった。

悲しくなるからそんなこと思いたくないけど、ずっと頭に残っているからずっと毎日思っている。


いつもお世話になっている整体師さんもスピリチュアルの勉強をしている。

話しを聞いていると、私が以前勉強していた仏教と根本は一緒なのではないかと思うところが多い。

私が教えを始めたきっかけは病み闇ブログのほうに書いたが、やめたきっかけは簡単に言うと失望したから。

教えに失望したわけではなく信頼していた人に失望した。

その人が悪いのではない、私が勝手に思って勝手に失望したのだと思う。

いつかそのことに気持ちが透明になってきたらブログに書きたいと思っている、今は曇ってるから無理。

そんなことがあったから妹と整体師さんの話しが素直に入ってこないのかもしれない。

うーん………「かもしれない」

自分のことだけどわからない。


教えもスピも、たくさん救われている人がいるから素晴らしいものなんだと思う。

私は教えを勉強して失望してやめた経験をしたからこそ、今の自分に合う思考を生み出せたんだと思う。

私の心にスピが入っていかないように、姫思考は他人の心には入っていかない「かもしれない」

その思考は私のモノだから私の人生が明るくなりさえすればいいだけだ。

ただ、全否定ではせっかくの何かのヒントが掴めない「かもしれない」から気の向くままに行動してみようとも思う。

その時の気持ちがどうなってるかなんて、その時にならないとわからない。

ましてや他人のことなんか。


「あの人」口を開けば他人の話。

悪口を聞かされてるわけではないが「他人から聞かされる他人の話」は私にとっては恐怖でしかない。

ただただ私を巻き込まないでほしい。

そんな話しに乗らない私を嫌って無視してほしい。



のあさん

私のダイエットスリッパを自分のベッドに運んで、自分も入って座っているところ。


私がスリッパを脱いだらベッドから出てスリッパを運び始めた


このスリッパもベッドまで運ぶのかな?


いや、置いたwww


そしてベッドにあったダイエットスリッパを持ってきた


それをどうするの?


また置いた


ただそれだけ!www

今年の父の命日


姫ザクロの実が熟して割れた

こういう姿に生命力を感じるんだよね。

なんと強く美しいのだろう!

・:*:・(*´∀`*)ウットリ・:*:・

隣に生えていた木を切ったから日当たりが良くなって実をたくさんつけるようになったのかな。



昨日は父の命日だったのでお墓参りに行ってきた。

亡くなってからもう8年か………あの時はたいへんだったなぁ。

人が亡くなるというのは本当にたいへんなことだよね、残された人が。

私は余命宣告されて死にたいな。

カウントダウンの恐怖があるのだろうが………。


父の葬儀が終わってすぐ、夢に父が出てきた。

大きめのテーブルがあるリビングルームのような所に父と私がいた。

記憶が曖昧だが他にも誰かいたかもしれない。

夢の中の私は父が亡くなっているのを認識していた。

私「葬式、終わったよ」

父「焼いたんか?」

私 ( *`ω´)キッ「焼いたよ!」


こんな短い会話の夢だったが、目が覚めて「夢にじいさん来たわ」と思った。

この、短いのにイライラすることを言うのは間違いなく父だ。

「焼いたんか?」だと。

当たり前じゃねーか!なんだその質問は!とイラつかせる。


その数ヶ月後にまた父が夢に出てきた。

夢の中の私が仕事でどこかの街中を歩いていると、真っ赤なフーディーを着た父が道端にうずくまっていた。

フードは被ってなかった。

私「どうしたん?大丈夫?」

父「行かないけんのやけど歩けんごとなったったい」

私「どこ行くん?」

私は父を何とか立たせ支えながら、父が指さす方向に一緒に歩いて行った。

お店のような建物に入って行くと、そこにいた人(どんな人だったか忘れた)が気づいて来てくれ、足元がおぼつかない父を支えながらどこかへ連れて行ってくれた。

私とその人に会話はなかったが「では父をよろしくお願いします」「はい、わかりました」みたいな雰囲気で。


目が覚めて「これで、じいさんが行くべき所に無事に行けたんだなぁ」と思った。

真っ赤なフーディーが気になるけどwww

記録してなかったから、この2つの夢をいつ見たかわからない。

ちゃんと記録しておけば良かったなぁ。

当時は仕事のことで頭がいっぱいで、それどころじゃなかったからなぁ。


今年はこんな供花にした



毎週木曜日に調理してデリバリーするというサイクルができあがっているが、今月と来月はこのリズムを崩して対応する。

なので今週は調理はせず冷凍弁当を持って行き、いつもと違う曜日に買い物に行った。


すると、いつもと違う商品が手に入ったwww


いつものスーパーマーケットで、いつもと同じ時間だったんだけどなー。

たまたまかなぁ? それとも曜日によってはこんなラッキーなことがあるのかしら?

1本98円の大根を買って、今シーズン初おでんにした。

「あ!写真!」と思った頃には食べ終わっておりましたーw


もう大根2切れしか残っておりませぬ