未だに不惑に達していない56歳の誕生日
私の誕生日に福田監督の三國志が公開されると知り、何ヶ月も前から楽しみにしていた。
バイトは事前に休みを取った。
最悪、母の通院があるかもしれないと心の準備をしていたが週一ペースになってくれたので助かった。
年一回、自分の誕生日くらいは「何もしない」をするぞ!と心に決めていたので「何もしない」ための準備をしながらウキウキするやら「何もしない日を作るためにどうしてこんなに綿密に計画して準備しなきゃいけないんだ?」という疑問と葛藤の日々を過ごした。
誕生日2日前、いよいよ上映時間がアップされ当日のザックリしたタイムスケジュールが見えてきた時、テレビを見ていたダンナが言った。
「ねぇ、三國志観に行くの?俺も行く!」
終わった………と思った。
「ちょっと早く行ってメシ食おう!」と言われ「もう私の誕生日じゃないわ………」とガッカリして悲しい気持ちしかなくなってしまった。
一緒に行ってプレゼントを買ってくれようとしているのだろうが何も欲しくない。
欲しい物があれば自分で買う。
私は自分だけの時間が欲しかった。
私の気持ちは複雑。
「ハッキリそれを言うとダンナを傷つけてしまう」
「でも空気が読めない人だからハッキリ言わないとわかってもらえない」
「いやハッキリ言っても、自分がやりたい事は何としてもやる人だ」
ダンナがどのくらいの熱量で私と一緒に三國志を観たいと言ったのかわからないので私はどうしようもなかった。
だって、どれを取っても私の気持ちがスッキリしないから。
私は「一緒に行ってもいいよ、要らんこと言わんやったら」と念押しした。
さてさて新解釈 三國志。
新解釈も何も私は三國志の詳しい内容を知らない。
「昔の中国の武将が戦う話。桃園、ソウソウ、リュウビゲントク、ショカツリョウコウメイ」程度w
ひでぇなw
知識無しの私では面白さがわからないかなぁ?と思ったが、ストーリーテラーの学者さんが説明してくれたので大丈夫だったwww
冒頭から福田監督的な笑いが満載。
家では大口を開けてゲラゲラ笑っている私だが、さすがに映画館でひとり大爆笑する勇気はないw
笑いを堪えていたら涙が出てきてハンカチで口を押さえて「面白すぎる!こりゃ最後まで堪えられるかなー」と思っていたが中盤からはそんなに………w
銀魂ばりの迫力あるアクションシーンもあったが一瞬ウトウトしてしまったほど。
三國志ファンなら新解釈やパロディの面白さがわかったのかしらねぇ?
私キングダムも観てないし。
映画館から出たあと、私はセリアで買い物をしようと思っていたがダンナはソフトバンクショップでWiFiのことを質問したくて店員さんに話しかけようとしていた。
「予約してないんだからダメだよ。ほら!中で座ってる人は予約の人だよ、店員さんが来るの待ってるんだから」と注意したが「いやーちょっとだから」と話しかけるチャンスを窺っている。
「私セリアに行ってるからね」と言おうとしたらダンナの姿がない。
「まただ………!」いつもちょっと目を離した隙にどこかへ行ってしまう。
ショップの中にもいない、グルッと見渡してもいない。
「そういえばさっき新しくマクドナルドができるって言ってたなぁ」とダンナが見ていた方向に探しに行ったがいない。
キョロキョロ探しながら歩きソフトバンクショップの前に戻ると「探したよ、どこ行ってたのー?」と呑気に言われた。
Σ(`・д・´)カッチーン
「アンタがフラフラどっかに行ったからでしょ!もう~いつもいつも!今日アタシ誕生日なんだけど!」と怒鳴ってしまった………。
どうして年一回の誕生日にまでこんな思いをしなきゃならないんだ!という怒りが伝わったのか、それとも先日ぶん殴られたことを思い出したのか、ダンナは「あ、じゃあ俺、車で待ってるから!」と、そそくさと行ってしまった。
ダンナは悪くない。
私だって悪くない。
ただ私は我慢するのをやめただけ。
ダンナが「一緒に行く」と言った時点で既に私の計画は崩れていたが、誕生日である今日までもダンナに振り回されている自分に腹が立った。
結論
「我慢する」のをやめるなら「気にする」のも同時にやめなければ自分軸で生きることは叶わない。
↑
誕生日当日ここまで書いていたので、あとで仕上げてアップしようと思い洗面所の掃除をしていたら、ダンナの悲鳴と走り回る足音が聞こえてきた。
だいたい毎日ダンナは何かしらやらかして騒いでいる。
ソファに飲むヨーグルトをこぼしたそうだ。
「どうしよう、どうしよう」と言ってきた。
見に行くと、キッチンのタオルで拭き取ってあったがソファに染み込んだヨーグルトをリンちゃんがしきりに舐めている。
乾いたタオルで拭くだけじゃなくシッカリ水拭きして染み込んだヨーグルトを取るように指示。
その際に使うタオルはそこのカゴに入ってる、出したらカゴは綺麗に元に戻して、と。
今までなら全部私が始末してきたこと。
私なんでこの人と結婚したんだっけ?
そういえば私たちが勤めていた会社の皆さんが結婚のお祝いパーティーをしてくれた時「どうして(こんな変わり者と)結婚しようと思ったの?」と聞かれ「言葉が通じたからかな笑笑」と答えたことを思い出した。
ダンナはトントン拍子に昇進しており、結婚後も会社に尽くして更に昇進昇格していった。
親ほど歳上の社外監査役(当時)と気が合うらしくプライベートでも仲良くさせていただいているが、そのかたに「昇進おめでとうございます。内助の功ですね」と言われ、その場では笑顔で受け入れたが内心は「私は何もしてない、ダンナの実力だ」と落ち込んだ記憶も甦ってきた。
当時は私も家庭をなげうって会社に尽くしていたのでダンナのサポートも子育てもできていないという引け目があったからだ。
今思えばプライベートを知っている監査役はわかってくれていたのかもしれない。
あのダンナが集中して能力を発揮できていたんだから。
ダンナの言葉や意向を理解しようとしたし混乱させない言葉選びもした。
生活する上で必要な事や物を整えることから冠婚葬祭など特別な際のマナーのアドバイスまで、常にダンナのことを考えていた。
それは自然に他人軸でモノを考えられる私の能力だ。
私は何もしてなかったわけではなかったんだと思うことができた。
でも会社に行けなくなるほど病んでしまい、そこから捻れてしまった。
逆に、捻れが解けてきたのかもしれない。
苦しいデトックスと辛い自己分析を経て、自分軸で生きる素晴らしさがわかった。
わかったらわかったで、私には自分軸で生き続ける困難が出現してきた。
還暦を前にまだまだ考えることも多く、知るべきこともたくさんある。
こうして両親のこと、幼少から今までの自分、関わり合った人たち、出来事などなどのピースと同時に現在のピースもはめ込んでいく作業をする。
パズルは完成しなくてもいい。
そもそも絶対に完成することはないパズルだから私が飽きるまでやる。
そうしたら今許せないことも許せるようになる気がする。