誰かのために頑張ること

誰かのために頑張るには私が私を大切にしなきゃいけないことに気がつきました。仕事人間だったので家庭での記憶が所々抜けています。もう忘れないように日々を記録します。

損か得かを考えたら、得なほうがイイに決まってる。
結局自分に返ってくるなら、誰かのために頑張ろうかな…と、自己中に尽くす主婦のブログ。

夏らしくない夏に心がザワつく

足場を組んでから1ヶ月経った。

梅雨が長引いているので工事がなかなか進まない。

外壁と屋根の塗装は2回目が終わり、最後の仕上げを残すのみとなった。

ポストと玄関ドアもオマケで塗ってくれるらしい。


家中の窓を保護している

更に足場の周りにもシートがかかっていて、家全体がスッポリと覆われている。


玄関灯やドアも


家の中から見ると………

これでレースカーテンをかけると結露している冬の窓ガラスのようで、一瞬「アレっ?」と思ってしまうw

窓を開けることができないので、外の様子を見る時は玄関ドアを開けるしかない。


屋根は元の色と全く違う色を選んだので、かなり印象が変わるだろう。

完成が楽しみだ!



先日りんごジュースが届いた

これはいつもお義母さんからいただくのだが、義兄嫁のお姉さんの嫁ぎ先?だったか、その関係先?だったか、そちらで作っているジュースだそうだ。

あやふや~www


私は、会話による説明は端的に言ってくれないと正確に理解できない。

何故かと言うと、相手が発する言葉が全て頭に入ってくるので、言い間違いがあってそれを何気なく訂正して話しを続けられると内容の組み立てが上手くいかないからだ。

正確に理解しなければならない場合は相手に確認しながら話しを進めるが、大して重要ではない場合は組み立てられないままスルーすることにしている。

もちろん前後の流れから察することができるが、言葉のチョイス、接続詞のチョイスや登場人物の数やその登場人物の発言、実際あったことなのか想像で話しているのか、きちんと話せる人って意外と少ない。


苦手なのは、会話の途中に目についた本筋と関係ない話しを挟んでくる人。

頭の中で思ったことの意味を咀嚼せず口に出す人。

会話は相手の表情や仕草が見えるのでニュアンスは伝わってくる。

私に関係ない話しや関わりたくない話しならわざわざ確認してまで正しく聞かないことにした。

私はお喋りではないので心の中に留め置くことができる。

曖昧な話しをまるで知っているかのように話すのは嫌いだ。

だから正しく聞いてない話しは自分から話さない。


お喋りな人は本当にずっと喋っている。

私には独り言なのか私に話しかけているのかわからない。

情報が全部勝手に入ってくるので余計に物事を考えなければならず非常に疲弊する。

以前の私はダンナの音声アシスタントだった。

AIであれば「OK Google」「Hey Siri」「Alexa」と呼びかけて話すが、私は呼びかけられなくても全部に応えていた。

「今日、何曜日だっけ?」「アレ、どこに置いたっけ?」「明日は雨かなぁ?」

ダンナ本人は無意識なんで、もうバカらしいからやめた………けど長年の癖で反応してしまうこともあるw


りんごジュースで言えば「私がお義母さんからいただいたもの」であり、お義母さんがどこからどうやって手に入れているのかは重要ではない。

もし「このりんごジュースを手に入れるのがどれだけたいへんだったか」というニュアンスが伝わってきたら正確に経緯を確認し労うこともできるだろう。

その点、手紙やメールは良い。

文章にする場合、いちばん伝えたいことを整理して書くからだ。

今回は「りんごジュースを作っているグループの人達が高齢になったのでジュース作りはこれで最後」ということ。

よくわかりました、これできちんと返信できる。

お義母さんが文章を書くのが得意で良かった!


その次に届いたのは布マスク

西村大臣のと同じ型だそうで。

でもこれフィルターポケットが付いてないんだよね………。

我が家はずっと不織布マスクだけだからフィルターも買ってないしフィルターポケット後付けとか難しそうだし、そもそもお裁縫好きじゃないし~www

なーんて返信できないから2日間も悩んでしまった。

どう返信したら気を悪くさせないか、そんなことを考えてしまう。

相手を喜ばせるために心にもないことを言うのは私にとっては苦しいことだ。

素直に受け入れてパッと自分の気持ちを伝えることができる人が羨ましい。

そんな人になりたい人生だった。


字は下手くそで漢字を知らないし書くの遅いから文章を書くのは得意ではないけど、その時の考えを写真と一緒に記録として残しておけるブログは本当にありがたい。

頭の中が整理されるという利点もある。

紙に書く日記だったら続けられなかったな。