訪問看護ステーションと契約をした。
要支援なのに受けてくれて本当に助かった、今後また医療的なケアが必要になった際に相談しやすくなったし。
事業所が母宅に近かったのも良かったのかも知れないな。
訪看ではガーゼや消毒液などはコチラで用意することになり、週1回のケアでも母の介護度では限度額オーバーで負担金が増える。
しかーし!
老後のために必死になって貯金したんでしょ?
今が正にそのお金を使う時だ!
残さなくていいから自分のために使え!
と今回はまだ言ってないが、そんな話しになったらまたそう伝えるつもりだ。
母宅の君子蘭
先日の母は、ここ1~2年でいちばんお喋りだった。
どこでスイッチが入ったのか不思議だが以前の母が戻ってきていた。
デイサービスのことや孫のことなどを話している分には問題ないのだが、孫の小さい頃の話しから関連して父の悪口に移っていく。
この1~2年、父の話しをしなくなっていたので良い方向に気持ちが薄れているのかと喜ばしく思っていたのに。
母は若い頃から自分の両親、学生の頃の教師などもうこの世にいない人たちの悪口を私に話して聞かせてきた。
もちろんイカれていた父の悪口も。
その父も今はもう亡くなっている。
「私は悪くないのに両親にこうされた。私は悪くないなのに先生にこんなことを言われた。私は悪くないのにアイツはこうだった」
子供の頃はその話しを鵜呑みにして母に同情していたが私も次第にわかってきた。
「私は悪くない」と他人や生まれの貧しさ(物質的なことだけではなく)のせいにしたくなるけど、他人のせいにしても状況は何も変わらないんだよねw
私の場合は逆に「私自身のせいなんだ!」と間違った方向に行ってしまい、去年まで約50年間も自分を肯定できずに苦しんだから身をもってわかるけど「私のせい」だから頑張らなきゃ!と努力して状況を改善しても「私に私のせいにされた私」が「つらいよ、苦しいよ」と暗闇でつぶやくから、いつまで経っても人生楽しい!幸せだ!と思えなかったわけだ。
結局「〇〇のせいだ!」って思っているうちは、どこかにほころびが生じるんだよ。
気づけて良かった、本当に。
でもそれに気づけない母がいる。
思い出を語ると、それに関連した嫌な思い出までズルズルと引っ張り出される。
私も離婚経験者だからズルズルの連鎖反応はよくわかる。
聞きたくないので軌道修正を試みるが、またそこからズルズルと引っ張り出してくる。
もうこの世にいない人の悪口なのに母の話しは生々しく、そして、そんな話しをする時の母の顔が本当に醜い。
50歳の節目の同窓会に出席した時、子供の頃によく一緒に遊んでいた友達に「ぷちこちゃんのお母さん、いつも機嫌悪かったよねー」と言われた。
事実なので「そうそう!やっぱりわかってたかwww」と笑い合ったが、面と向かって言われると「私だけじゃなくて誰が見ても不機嫌な顔をしてたんだなぁ」とつくづくと感じたことを思い出した。
もうこの世にいない人の悪口を、さも昨日のことのように話す母。
醜い顔。
そうだ、あの顔を見たくなかったんだ。
でも私は勉強もできなかったしハキハキ話せる子でもなかったし家事のお手伝いも好きじゃなかった。
そうか、私は悲しかったんだね。
ひとつも母の望むようにできず、母を笑顔にできなかったから。
と思ったら、涙がたくさん出てきた。