出汁にも「お」をつける一族
衝撃の見た目!
これ先日のお義母さん福箱のきのこカレー。
乾椎茸がまるごと3つも入ってたwww
さすが大分のレトルトカレーだ。
「まるごと」って書いてあったわ
うどんキター!
やっぱり直送だったかwww
これが絶品うどんかぁ、質素な食生活をしている私の想像をはるかに超えた重箱入り。
うどん寄せ鍋ですって、豪華!
こりゃ「うどん」にも「出汁」にも「お」をつけたくもなるわな。
写真ヘタすぎ⤵
実際はもっともっと美味しそうだったし、美味しかった。
でも食べる前にダンナが「写真撮るよ、コッチ向いて鍋に顔を近づけてー」と言い出した。
私もムスメも、もっと言えばムスコ達もこれが大嫌い。
食事の前に必ず写真を撮りたがる。
めんどくさいし、その前に私たちは写真を撮られるのが好きではない。
ムスメとムスコ達は友だちとならノリで撮るのは楽しいかもしれないけど、私はノリで撮るのもイヤ。
でもその場の雰囲気を壊すのがもっとイヤなので我慢する。
だけど家族で食事のたびに「はい、コッチ向いてー」は、めんどくさいを通り越して怒りに変わる。
これまでのダンナ理解ポイント
①結婚したての頃は「家族ができたから写真に残しておきたいんだろうなぁ、イヤだけど仕方ない」
②仕事で遅く帰宅して、調理して「子ども達に早く食べさせたいなぁ。でも写真撮らないと食べられないからサッサと集合してカメラの方に顔を向けよう」
③「子ども達が大人になったら、この毎日の写真が懐かしいものになって撮ってて良かったーってことになるんだから我慢しよう」
④「毎日の写真撮影くらい小さいことだ、我慢我慢!」
↑
こう自分へ言い聞かせた我慢が10年以上続く。
私が勝手にダンナに気を使ってしたことだ。
その10年以上の間に一度、ダンナは毎日撮影していたガラケーを紛失し写真は幻と消えた。
その後の写真は、ケータイに何かあっても大丈夫なように通信会社のデータ保存サービスで保存していたが、そのサービスが終了となり、また幻と消えた。
サービス終了にあたり半年以上の猶予期間中にデータを移行するように何度か連絡が来ていた。
私も同じサービスを利用していたのでデータ移行をしたが、ダンナは何故かやらずにそのままサービス終了となった。
なのでダンナが撮影した子ども達が小さい頃の写真は殆どない。
以上は写真撮影だけのエピソードだ。
ダンナは良い人だが生活全般がこんなエピソードだらけなのだ。
私がカバーできることはするが全部は無理。
「発達障害の人は仕事ができない」などということを言う人がいるが、それは間違っている。
「力を発揮できる仕事かどうか」ということだ。
そして自分の不得手を自分なりにカバーしたり、それが難しければ誰かにカバーしてもらうことで良い仕事ができる。
ダンナは県内でいちばん偏差値の高い高校から某国立大学へ進学し教員免許も持っている。
こう言うと「夫自慢かよ!」と思われそうだが、そうではない。
ダンナは賢いが、それ以外はポンコツだと言いたいのだ。
ダンナと私は上司と部下の関係だったので仕事ぶりはよくわかっている。
彼の不得手な部分は部下としてカバーしていた。
おつき合いを始めてからは私生活のポンコツ部分を知ることになる。
では何故そんなポンコツと結婚したのかというと、ムスコAが発達障害児だったからだ。
可愛いムスコA………将来が心配だった。
ずっと私がカバーしてあげることはできない。
そんな思いがあり、私はお義母さんからダンナを任された気持ちで結婚という形をとった。
最近は敢えてやめているが、結婚してから去年まで定期的にダンナの近況を手紙やメールで知らせていた。
大切な息子を私のような子持ち歳上女と結婚させてくれた弱みもある。
血の繋がった孫を流産してしまった弱みもある。
これも私が勝手にお義母さんに気を使ってしたことだ。
人生後半にさしかかり、これからは自分軸で生きることに決めたら「ムスコA=ダンナ」「私=お義母さん」ではない、勝手に発達障害という共通項に縛られていたと気づいた。
私の人生の選択の優先順位は全て他人軸で考えていた。
よく知りもしないのにわかっているような気になる、という自分勝手な他人軸で。
勝手に「この人のために私はこうしているんだ、仕方ない」と自分に言い聞かせて良い人ぶる。
だから時間が経ってくると我慢になってしまう。
苦しくなる。
イヤだー!バカだー!
よーし、書いたぞ。
吐き出すと楽になるのは病み闇ブログで実証済み。
記録にもなるし。
もう合体させようかな。
考えて考えて!楽しいこと!