発達障害
ムスコAが帰宅する日、彼のリクエストで中華料理店へ行った。
テーブル横にあった象牙細工。
親の目からは、まだ少しAD/HD特有の違和感が見え隠れするものの、社会人としての責任感と彼が得意とする業務への自信が成長を裏付けている。
小学6年生の頃にAD/HDと診断されてから、私達は学校と教育委員会と児童相談所に相談に行ったが、何も力になってくれなかった。
今思えば支援の方法が確立されていなかったのだろう。
頼るものがないので山村留学も考え、何度か四国まで行ったりもした。
しかし本人にはAD/HDであることを話さなかった。
そもそも努力をしない子なのに、発達障害であることを盾にして甘える可能性が大きかったからだ。
中学校入学までに何とかしようとジタバタしたが、時期がきてしまったので地元の学校に入学させるしかなかった。
発達障害児が思春期を迎え、メチャクチャな3年間だった。
このまま地元の高校に進学できたとしても、すぐに行かなくなることは目に見えていた。
私達は、ある意味山村留学のような形で入学できる高校を見つけ、15歳のムスコAを託した。15歳で手放すなんて悲しくてやりきれなかったが、彼の将来を考えると、私達が成長の妨げになるわけにはいかなかったのだ。
AD/HDであることは本人にも、高校の先生にも話さなかった。
社会に出れば特別扱いなどないのだから、高校生の時点で他人の中に入る厳しさを知ってもらいたかったからだ。
それからが親である私達にとっても厳しい修行の始まりだった。
シメはやっぱり杏仁豆腐!