悔しい思い
私は変わる、と覚悟して望んだ瞑想。
それなのに頭に浮かんでくるのは悔しい思いだけ。
悔しい思いは、私という机の、たくさんある抽斗の、手が届きにくい抽斗を選んで、奥の奥に入れて、鍵をかけて、気持ちを切り替えたはずだった。
私という机の上には今必要なモノだけ置いてあって、整理整頓されていたはずだった。
私がどれほど自分を犠牲にして、会社のために、高齢者とその家族のために、スタッフのために尽くしたか。
私は、私の家族、上司、同僚、部下、会社、介護業界、社会に至るまで憎悪し悔しさを募らせた。
自分のつらさを他人のせいにして泣いた。
悔しくて悔しくて、「あなたの頑張りは、み仏様が見てくださっているよ」という耳障りの良い言葉も虚しく、私はすっかりやさぐれてしまった。
この悔しい思いは、私が乗り越えない限り、宇宙の果てに捨てたとしても私の前に現れるのだろう。
「やってあげている」という思い上がった気持ちを心の底から反省できる自分に。
他人の言葉を受け入れてから意見できる自分に。
今日ここに生きていることに感謝できる自分に。
時間がかかっても絶対にやり遂げる。