自分の子供を信じられなかった親の過ちと後悔
高橋一生くんが主演のドラマ「僕らは奇跡でできている」を観て、自分が子供だった時のことや自分の子育てについて思い出し、胸が苦しくなっている。
私は3姉弟の長女、私の下に妹と弟がいる。
いちばん下の弟が生まれたのは私が3歳5ヶ月頃なので、私たちは年子3姉弟だ。
母はさぞかし苦労したことだろう。
3歳でふたりの姉になった私だが、姉という自覚があるわけがない。
当然その頃の記憶なんかない。
母が言うには「お喋りで言うことを聞かない野生児」だったらしい。
母が私の野生児エピソードを語り始めると止まらなくなるほどだ。
小学校に入学してからも私はよく怒られた。
母に物差しで叩かれていたのを憶えている。
父は夜の街にくり出すことが多く、酔っ払って朝帰りすることも少なくなかった。
夫婦喧嘩は日常のこと、父が遊びに出かけると母の機嫌が悪くなった。
紛れもなく八つ当たりだ。
しかしその頃は自分が悪いから叩かれるんだと思っていた。
怒られた時は反省するが、すぐまた同じことをしてしまう。
例えば「(夕方)5時のチャイムが鳴ったら帰宅しなさい」という約束を守れない。
怒られてもまたやってしまう。
ある日、帰宅すると玄関ドアの鍵がかかっていた。
私は「また約束を破ったから家に入れてもらえないんだ」と理解し近くの公園に行って遊んでいた。
鬼の形相の母が探しに来たことまでは憶えている。
母としては、私が玄関ドアの前で「ごめんなさい、明日からは約束を守るから開けて~」などと泣きながら叫ぶと目論んでのお仕置きのつもりだったのだろう。
だが私は子供の頃から泣き叫んで許しを乞うことができない。
自分でもわからないが根拠のないプライドがあるのだ。
小学校高学年の反抗期になると、今度は父から怒られることが増えてきた。
弟が剣道を習っていたので、その竹刀で頭を殴られた。
近所の山の上にある神社の長い階段を「ウサギ跳びで上がれ」としごかれたこともある。
父の本棚に「スパルタ教育」という本があったが、当時はどういう意味なのかわからなかったし、父の教育はねじ曲がったスパルタ教育だったと思う。
父は「言葉で言ってもわからんヤツは動物と一緒や。そやけ叩くんや!」と言い、目から火花が出そうな程の力で頭を殴るのだ。
今思えば、手を上げられるほどの悪事を働いたわけではなかったが、両親に怒られている時は「またやってしまった、私はなんて情けないヤツだ」と反省していた。
それなのにまたやってしまうのだ。
両親に怒られないようにするには、お手伝いをしたり勉強をして良い成績をとったりすればいいんだろうなぁと思ってはいたが、それが本当にできなかった。
お手伝いも勉強も嫌いで、特に算数はやろうとすると頭の中に霧がかかったようになった。
なんで私はお手伝いや勉強ができないんだろう?
約束も守れないし、怒られても同じことするし、ダメなヤツだ!といつも思っていた。
変わり者と思われたくない。
目立ちたくない。
普通の人になりたい。
ちゃんとした大人になりたい。
と、いつも思っていた。
大人になってもずっと思っていた。
50歳を過ぎて、やっと自分が母の影響を相当に受けていることに気がついた。
私は、ちゃんとした大人であることを母に示したかったんだと。
「自分を封印して、仕事も頑張って、家事も頑張って、子育ても頑張ってまーす!
私ちゃんとした大人になりましたー!」
そしてそれを子供たちにも押しつけた。
「ママはとっても頑張ってるんだから、あなた達も頑張りなさい。ちゃんとした大人になるためにお手伝いして勉強してママの言うことを聞きなさい」
さすがに両親ほど頻繁で激しいものではないが、私も子供たちを叩いたことがある。
自分が両親にされてイヤだったことを私は子供たちにやっていた。
子供たちの気持ちを聞いて理解してあげることをしなかった。
子供たちに押しつけるのは間違っている、と気づかなかった。
気づいてからは考えを改めて子供たちに接しているが、彼らはもう成人している。
もう一度子育てやり直したい!と、その時初めて思った。
今はドラマ「僕らは奇跡でできている」を観て、更に後悔の念を抱いている。
また、歳を取っても自分の生い立ちを気にしている自分に驚いている。
早いとこ気持ちを切り替えなくては!
開き直って人生楽しもう。
その姿を母と子供たちに見てもらおう。
自分を好きになるにはまだ程遠いけど「素直=わがまま」と感じてしまうことは少なくなってきたから。