誰かのために頑張ること

誰かのために頑張るには私が私を大切にしなきゃいけないことに気がつきました。仕事人間だったので家庭での記憶が所々抜けています。もう忘れないように日々を記録します。

損か得かを考えたら、得なほうがイイに決まってる。
結局自分に返ってくるなら、誰かのために頑張ろうかな…と、自己中に尽くす主婦のブログ。

老後の資金がありません!



クッソ貧乏生活経験のある私には、わかりみしかない映画でしたwww


私の前夫は借金持ちだったので離婚するまで15年間くらい苦しめられた、お金以外の苦労もあったけどね(怒)

その間ワンオペ育児中に義父が自死して「一族の恥が恥の上塗り、表沙汰にするな!密葬だ、先祖の墓には入れない、オマエ達で何とかしろ」と言う親戚連中。

見栄っ張りで貧乏な義父(というか見栄っ張りだったから貧乏だったのかも)、その息子(前夫)も同類。

ただでさえ生活が苦しいし有名人でもないのに墓石を前夫がデザインして注文していた。

私はその頃すでに「私はこの墓にはぜったい入らねーぞ」と心に決めていたので、建立者を連名にせず私の名前を刻むのを断った。


その義父が亡くなった時に相続放棄の手続きを経験したおかげで、私の父(コイツも借金持ち)が亡くなった時にも葬儀納骨相続放棄をセットにして考えられた。

いろいろ嫌なことを思い出すけど今はその心配はないので「自分えらい!」と過去の自分に感謝の日々だ。

私の半生でも映画が作れるんじゃないだろうかっつーくらいいろいろあった。


この映画はコメディーだから笑い飛ばしてナンボ。

わかり手として面白がりながら観ることができた。

爪に火を灯す日々を送っていても爪に火を灯しているのは自分だけ。

「あ~~そうそうwわかるわかるwww」

水まわりや電化製品は次々に壊れるし、子供のイベントも次々とあるし、親は頼りにならないし。

「ちょっとちょっと!1回スト~ップ!」と白旗を掲げても意味なし。

どんなに辛くても明日は間違いなくやって来て、生きていかなきゃならない。

辛かった過去を思い出すといつも思うけど、子供たちがいなかったら私の人生ロクなもんじゃなかっただろう。


家族の誰かに苦しめられて、家族の誰かのために頑張る。

家族だからワガママを言う人もいれば、家族だから甘えたくない人もいる。

他人を頼ることができる人もいれば、他人を信用できない人もいる。


最近「みんな違って、俺が正解」という名言wwwができたけど、これは自己中な人の言葉ではなく自分を認める言葉だと捉えた。

自己中な人は謙虚さがないから、すぐにわかる。


自分を他人と比較しない。

自分を卑下しない。

自分軸で考える。

他人に干渉しない。

助けてほしい時は「助けて!」と言える人であれ。

頑張ってもできないことはある「自分は根性や努力が足りないダメなヤツだ」と思うな。


映画はハッピーエンドだった。

コレもソレもアレもドレも円満解決、良かった~!

コメディー映画とわかっていながらも、テーマがシビアなので感情移入してしまった。

天海祐希さんの笑顔は本当に素敵で、いつも私もつられて笑顔になる。


いやーダメだ、私は初老なので老後のこととなると話しが止まらんw

私の義父は若い女に捨てられ一文無しになり老後を迎える前に自ら人生を降りた。

私の父は60代後半に母に見限られた後も借金をやめられず突然脳卒中で倒れたまま亡くなった。

私からすれば、どちらもハッピーエンドとは思えないが本人達はどうだったのだろう?

義父は借金を息子に押し付けて逃げ自由に生き、人生の終わりを自分で決めることができた。

父は若い頃から借金を繰り返し離婚後も自由に生きた。

2人とも若い頃から家族は二の次で自分勝手だったから、さすがに最後の最後に「助けて!」とは言えなかったのかもしれない。


老後の資金とは老後を迎えられるのが前提のものだ。

私は老後を迎えられるだろうか?

ふたりの父親を見送った経験から我が子にはお金の心配をさせたくないと思っているが、老後の心配ばかりしてないで今の私が今やりたい事できる事を楽しむのも大切だとも思っている。


人生始まったら終わりに向かって進むしかない。

特別扱いはない、ぜったいに終わる。

だから私は私なりのハッピーエンドにする。

どんなエンディングになるのかわからないが、いろいろある私だからこそハッピーエンドを希望する。


この映画を観て、ポジティブに、未来を信じて、そろそろ心療内科を予約する決心をしなければならないか………と思い始めた。

私の問題解決はまだまだ先。

私は笑顔が素敵なおばぁちゃんになりたい、イヤ!なる!