誰かのために頑張ること

誰かのために頑張るには私が私を大切にしなきゃいけないことに気がつきました。仕事人間だったので家庭での記憶が所々抜けています。もう忘れないように日々を記録します。

損か得かを考えたら、得なほうがイイに決まってる。
結局自分に返ってくるなら、誰かのために頑張ろうかな…と、自己中に尽くす主婦のブログ。

父の命日

5年前の昨日、私は会社のパソコンの前にいた。

介護サービス事業者の指定更新時期が迫っており膨大な数の書類を作成していた。

事務仕事が大好きだった。

毎日やりがいを感じていた。


夕方、私のケータイに電話があった。

誰からかかってきたのか憶えていない。

父の友人だったか救急搬送された病院からだったか、父が倒れて緊急入院したと。


すぐに病院に向かった。

そこには父の友人が2人待ってくれていた。

カラオケの途中、急に倒れたのだという。


Dr.から、くも膜下出血だと伝えられた。

出血の範囲が広く手の施しようがないと。


もうこの人は目覚めない。

母に見せたかった。

母が憎んでいるヤツの最後の姿を。


父を病院に任せ、カラオケ店に父の車を取りに行った。

救急搬送してくれた父の友人のカラオケ店だった。


薄暗く広いフロアの奥に小さなステージがある。

「お父さん夜勤明けでお昼過ぎにココに来てね。カレー食べてコーラ飲んでカラオケ始めて、1番を歌い終わった頃に突然倒れたんだよ」と話してくれた。


お詫びとお礼を言い父のマンションに向かった。

初めて入る父のマンション。

自分で調理したものが鍋に少し残っていた。

物は多いがそれなりに片付いていた。

万年床だろうか布団は敷きっぱなしだった。


血圧が高くて通院していたらしい。

煙草はやめていたよ、と父の友人は言っていた。


書類がパンパンに入って太ったファイルを見ると、葬儀社のネットワークの共済会の会員証があった。

偶然見つけたわけではないのかもしれない。

父は「俺の葬式には参列者がズラーっと並ぶんや!」と豪語していた。

準備をしていたのだ。


母と学校から帰ってきたムスコBを、父に会わせた。

ムスコBは声もなくポロポロと涙を流していた。

母も無言で………何を思っていたのだろう?

この時すでに離婚していたが50年ほど連れ添ったふたりなのだ。


深夜1時過ぎ、病院から父が亡くなった旨の連絡が入った。

私は父の顔を見たあと、父が準備していた会員証の電話番号に電話をした。


母を葬儀には呼ばなかったし、呼んだとしても来なかっただろう。

父の兄2人が福岡県からかけつけてくれた。

父とは歳が離れているので2人とも80歳を超えていた。


見栄っ張りでエエかっこしいの父のために、私と妹と弟はそこそこ見劣りしない葬儀を手配した。

父は現役で仕事をしていたので参列者は多かった。

そして父と同じく若い頃に福岡県から出てきた同窓会の皆様も次々と来てくれた。


他人に優しかった父の葬儀は参列者から嗚咽する声がもれるほどで、父の兄2人も盛大な葬儀に涙して私たちに感謝してくれた。


葬儀後、私たちは相続放棄の手続きをした。


そして「良い葬式だった」と後日手紙や写真を送ってくれた伯父たち。

後順位となる伯父たちに父の負債の話しをし相続放棄の手続きをお願いした。


私は父の死より年老いた伯父たちの気持ちを思うと辛かった。


父が長年兄たちに隠していた借金話。

伯父たちは、私の父母が離婚した本当の理由を知ったのだった。


酒と歌を愛した父はステージで歌って逝った。

アホか!

ベテラン歌手か!



父は小さい花が好きだった