誰かのために頑張ること

誰かのために頑張るには私が私を大切にしなきゃいけないことに気がつきました。仕事人間だったので家庭での記憶が所々抜けています。もう忘れないように日々を記録します。

損か得かを考えたら、得なほうがイイに決まってる。
結局自分に返ってくるなら、誰かのために頑張ろうかな…と、自己中に尽くす主婦のブログ。

悔しい思い

私は変わる、と覚悟して望んだ瞑想。

それなのに頭に浮かんでくるのは悔しい思いだけ。


悔しい思いは、私という机の、たくさんある抽斗の、手が届きにくい抽斗を選んで、奥の奥に入れて、鍵をかけて、気持ちを切り替えたはずだった。


私という机の上には今必要なモノだけ置いてあって、整理整頓されていたはずだった。


私がどれほど自分を犠牲にして、会社のために、高齢者とその家族のために、スタッフのために尽くしたか。


私は、私の家族、上司、同僚、部下、会社、介護業界、社会に至るまで憎悪し悔しさを募らせた。

自分のつらさを他人のせいにして泣いた。


悔しくて悔しくて、「あなたの頑張りは、み仏様が見てくださっているよ」という耳障りの良い言葉も虚しく、私はすっかりやさぐれてしまった。


この悔しい思いは、私が乗り越えない限り、宇宙の果てに捨てたとしても私の前に現れるのだろう。


「やってあげている」という思い上がった気持ちを心の底から反省できる自分に。

他人の言葉を受け入れてから意見できる自分に。

今日ここに生きていることに感謝できる自分に。


時間がかかっても絶対にやり遂げる。